HRLでのキャンプ体験とその後の歩みが「子どもの自由な体験と生涯発達 子どもキャンプとその後・50年の記録」として、2021年3月16日に新曜社から出版されました。(新曜社の書籍ページ)
その中で、私の若かりし頃の子どもたちとの関りのエピソードもいくつか載っています。当時の場面が今も生々しく蘇ってきます。
以下、書籍に提供させていただきました、拙文です。
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房総半島岩井での、春のキャンプのことでした。初日の夕食時、隣のW君から「お姉さん、お茶」と声をかけられ、自動的にお茶を汲んできて渡していました。夜のミーティングで、「なぜ、子どもにさせてあげなかったの?汲んであげないことが、子ども自身の体験を広げることになったかもしれないのに…」と指摘された時、青天の霹靂のように驚きました。自分には思いもつかない選択肢だったからです。三人姉妹の長女として身につけてきた ”頼まれるとやってあげてしまう” 反応パターンは、子どもの育ちを妨害するかもしれないことに呆然としたのです。
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子どもたちは小学校1年生。初めての中里村でのキャンプです。A夫は、手のひらほどの大きな蛙を竹の棒に串刺しにして、女の子たちを追いかけていました。それを見て、私は「止めなさい…!」と、ヒステリックに怒鳴りつけていたのだと思います。夜のミーティングでそのことが取り上げられました。でも、「あんなに残酷なことをしているのに、何で怒ってはだめなの?」と、いまひとつ腑に落ちていかないものを抱えていました。たまたま十数年後に参加したキャンプで、獣医師になったA夫が、「昔、動物をいじめていたので、今は助ける仕事をしています」と、自己紹介するのを聞いたときに、初めて「あぁそういうことだったのか!生かすためには殺すことも必要だったのだ」とストーンと胸に落ちたのでした。長く広く深い眼差しで、目の前の子どもの行動の意味を捉えていくことが、とても大切だと思い知った忘れられない出来事です。
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相手だけの問題にしがちなことでも、実際は、生身の自分の心の動きや、表情と響き合っていることに気づかされたのです。